山垣真浩先生(経済学部)

専門分野:社会政策、労働経済

古典を読もう

「古典」(クラシックス)とは、歴史のふるいにかけられても今日まで生き続けている名作のことです。ここでは世界の古典を念頭にお話しします。

【古典の意義】

私は大学生や大学院生のころ、ジャンルを問わず、多くの古典を読みあさりました。もちろん日本語訳でです。そしてそのことは今の私の血と肉となっていると思っています。
なぜ古典を読むのか。1つに今日まで百年~数百年と生命力を保っているのには何か理由があるのだろう、名著に違いないと。もう1つ、古典をよく知っている人は、なんとなく深い教養がある(=カッコいい)ように感じられたからです。でも本当にそうだと思います。

【選び方】

さて、古典といっても、最初に何を読んだらいいのでしょうか。あるいはどうやって選べばいいでしょうか。1つの手がかりとして、高校の世界史の教科書に出ていた作品から選んでみてはどうでしょうか。深く考えずに選びましょう。ここではキルケゴールの『死に至る病』(1849、デンマーク)という哲学作品を選んだとします。この本はあまり長くないので、哲学とか弁証法に少し関心のある人にはお薦めです。
実際に手に取ろうとすると、いろいろな翻訳が出ているので迷ってしまいます。『死に至る病』は、岩波文庫、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫、中公クラシックス、河出書房新社などから出版されているようです。どれを選んでもいい、というのが私の意見です。いい翻訳、そうでない翻訳があるかもしれませんが、素人にはわかりません。深く考えずに、値段と読みやすい翻訳かどうかだけ確認して選べばいいでしょう。ちなみに30年前は今ほどいろいろな翻訳が出ていなかったので、私が読んだのは大部分、河出書房の「世界の大思想」シリーズか、岩波文庫でした。

【読み方】

まずは気軽に読書として読みましょう。よくわからなくても、面白いと感じられればいいと思います。全然わからないと面白くもないでしょうから、その場合は縁がなかったと思ってあきらめて、また別の本に当たりましょう。確かに予備知識がないと難しい作品もあります。例えばマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852、ドイツ)は、フランス革命後の歴史についての一定の知識が必要ですし、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905、ドイツ)はマルクスを知らないと理解できないように思います。
このように難しい作品もありますが、そもそも100%理解しようと息張る必要はありません。何割か理解できるだけで、面白いと感じられるのではないでしょうか。

【古典の活用法】

古典講読が役に立つことは多々あります。ホッブズの『リヴァイアサン』(1651年、イギリス)は、一般的にいえば国家論ということになるのでしょうが、私の記憶に残っているのは、この長大な作品の最初でホッブズが、議論に先立って言葉を正確に定義することの重要性を延々と説いているところです。「名辞を正しく定義することに、言葉の第一の効用が存し、それが、学問の獲得なのである」。「理解とは、言葉によって生ぜしめられた概念にほかならない」(第4章より)。もし、卒業論文の添削などで、私から「曖昧な言葉を使ってはいけない。言葉の意味を正確に定義せよ」などと言われた人がいたら、実はホッブズを念頭に私はそう言っているのです。
また羅貫中が編集した『三国志演義』(1552、中国)は大好きで、読んだことのある人も多いはずです。「機先を制す」など、人生に役立つこともたくさんあって、これを愛読する会社経営者も多いといいます。私は原典に忠実な立間祥介翻訳本を好みますが、これを読み始めると、やめられなくて、眠れなくなってしまいます。なぜ読み始めるとやめられなくなるのか。それはこの作品の回(章)の切り方にもあると思われます。つまり各回が、話の内容に区切りがついたところでは終わらずに、次の話の内容を始めたところで終わる。だから次の話が気になってやめられなくなる。実は、私も文章を書く際に、この──各回語り手がおカネをとって話し聞かせる口承文芸に由来する──テクニックを意図して使うときがあります。つまり節を区切る際に、次節の話を少し始めてから終える。こうすると節と節が切れ目なくつながると感じられるときがあります。

【推薦】最後にお薦めの本を2冊紹介しておきましょう。

〇ニーチェ『ツァラツストラはこう語った』(1885、ドイツ)。大学生のような若い人にお勧めしたい本です。「人間は、動物と超人との間に張りわたされた綱である。……渡っていくのも危険、途中にあるのも危険、振り返るのも危険、身ぶるいして立ちどまるのも危険。……人間が愛されうるのは、人間が一つの過渡であり、没落である点にある」。君も失敗を経験して超人を目指せ。
〇アダム・スミス『国富論』(1776、イギリス)。とても長い本ですが、冒頭の「分業」の利益を説くところだけ、まずこれだけでいいので読んでほしいと思います。これだけなら難しくないし、ここから科学としての経済学が出発したのだと考えると感慨深いものがあります。