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【法学部】合同ゼミでハンセン病療養所見学を実施
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【法学部】合同ゼミでハンセン病療養所見学を実施
12月13日(土)及び14日(日)に、大場史朗教授が担当する法学部2年生及び4年生の専門演習の学生が、山口大学の櫻庭総教授のゼミと合同で、国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県瀬戸内市)において研修合宿を行いました。今回は多忙な合間をぬって本学ゼミのOGも駆けつけてくれました。
本学の学生が、国立ハンセン病療養所を訪れるのは、これで、2016年度(夏季に沖縄愛楽園、冬季に邑久光明園及び長島愛生園)、2018年度(大島青松園)、2023年度(長島愛生園)に続いて、5回目です。今回ははじめて山口大学の学生の皆さんと一緒に訪れることができました。
この研修合宿は、ハンセン病強制隔離政策と差別の歴史を学ぶことで、再び過ちを繰り返さないようにするための知識と人権感覚を身につけることを目的としています。
人間回復の橋」を渡る
合宿1日目はJR邑久駅に集合し、見学バスに乗って愛生園に出発しました。見学バスの中ではビデオが流され、学生たちはこれから向かう愛生園の概要について再確認しました。「隔離の島」であった瀬戸内海に浮かぶ長島は、本州との距離がたった約30メートルの海溝で隔てられている島ですが、差別・偏見のため、長年、橋がかけられることはありませんでした。本州と長島をつなぐ邑久長島大橋ができたのは、1988(昭和63)年のことでした。学生たちはこの「人間回復の橋」をバスでわたって愛生園に向かいました。
歴史館・園内見学
当日は快晴。愛生園から小豆島を望む瀬戸内海も穏やかでした。愛生園に到着したのち、まず歴史館(資料館)で、学芸員の方のご説明を聞きながら、それぞれ展示物を見ました。現在、歴史館がある建物は、療養所の事務本館として使われていたものです。学生たちはそれぞれ展示物を見て、また、園内の施設を見学して、ハンセン病の差別の歴史を学びました。
最近(2025年11月)完成した新施設「でんしょう愛生館」は、入所者の追体験を重視した展示手法を用い、知識を教えるだけでなく、問題を自分ごとと捉えて行動変容につなげる試みです。愛生館に入ると「この海はどう見えますか」との問いかけとともに、瀬戸内海の青いさざ波をイメージしたプロジェクションマッピングが映し出され、学生たちは「はじまりの部屋」に案内されました。「はじまりの部屋」は専用の桟橋から上陸した入所者が、最初に過ごした部屋が再現されており、当時の入所者が園内名を名乗るかどうかを尋ねられた状況を追体験できます。多くの学生たちは、名札にそれぞれが考えた「偽名」を書きました。その後、少年が療養所への入所までを描いたアニメを、①本人、②父母ら家族、③向かいの家の夫婦の3つの視点で視聴できる仮想現実シアターで視聴しました。
「隔離の島」で夜を過ごす
愛生園の宿泊施設に到着したのち、ファシリテーターの方のご指導のもと人権ワークを行いました。この人権ワークは事前研修や歴史館等で学んだ「人権」についてのアウトプットの機会でもあります。学生と教員たちはグループになり、ハンセン病療養所の入所者等に関して、①人権が侵害されている/いたこと、②人権を行使している/したこと、③人権が保護されている/いたことについて、議論し、意見をまとめ、発表し合いました。
食事ののち、学生たちは外に出て、「隔離の島」から原油のような夜の海を一緒に見ました。はじめて愛生園に来た多くの方は昼間の穏やかな海を見て「きれいな海」と感じるようです。今回、多くの参加者も同じような感想をもったことと思います。しかし、隔離されたある入所者の方は「海がきれいに見えるまでに10年かかった」と言っていたそうです。学芸員の方が教えてくださったように、愛生園の周りの海は夜になると、入所者の自由を阻む「黒い壁」に変わりました。
ハンセン病問題をどう考え、どう生かすか
かつて存在した「らい予防法」のもとでは、「ある者は、学業の中断を余儀なくされ、ある者は、職を失い、あるいは思い描いていた職業に就く機会を奪われ、ある者は、結婚し、家庭を築き、子供を産み育てる機会を失い、あるいは家族との触れ合いの中で人生を送ることを著しく制限される」「人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれる」(熊本地判平成13年5月11日判例タイムズ1070号151頁)。このように評される人権侵害が行われました。隔離政策を約90年間存続させたのは社会の「無関心」でした。わたしたちの社会では、今もこの「無関心」を克服することが求められています。
合宿後、山口大学の学生の方からこの研修内容がとても良かったので参加できなかったゼミ生にも共有したいとの提案まであったと聞きました。歴史館に展示されていた入所者の方の様々な「生きたあかし」は、これから社会人として歩もうとする学生たちに多くの問いかけを残したようです。
今の段階で社会復帰はまだ無理であろうが一生園で生活するのはごめんである。何年かかるか、何十年かかるか分からないが、いつかは出よう、自分の人生というものをもっと体でぶつかり、ズタズタにキズついても良い、真の人生を知りたい。人の生涯は園の中の生活の様に、たわいもなく過ぎ終わりを告げるものではない。もっと苦しみが大きいだろうし、喜びも大きいはずである。人とは欲なもので、何の苦労もなく大して苦しみもしないそれこそ極楽な生活を続けていると、その生活が最も下らないものに思え、そこから逃げ出したくなるのだ、今迄私は、片方の足は親の手で、もう片方の足を療養所という得体の知れないものの手でささえられ歩いてきた様に思う、しかし、もう他人の足で歩くのは嫌だ。か細くとも、自分の二本足でどっしりとふんばって生きてみたい、自分の働いたお金でお米を買い、着物を造り、着てみたいのである。働くことがどんなに楽しいか、分かりたいのである。
1963(昭和38)年 女子
大阪経済法科大学法学部では、今後も、人権感覚にあふれた人材の育成を目指していきます。