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教育研究 2019.02.22

「隔離の島」を訪ねる

 2月14日(木)から15日(金)にかけて、大学演習及び専門演習(法学部 大場史朗准教授担当)のゼミ合宿で、国立ハンセン病療養所・大島青松園(香川県高松市庵治町)を見学しました(学生13名参加)。この取組は、わが国で約90年間にわたって続いたハンセン病強制隔離政策の歴史と現状を学ぶことで、豊かな人権感覚を涵養することを主な目的としています。
 大島青松園は全国に13か所ある療養所の中でも、周囲が海に囲まれ、現在でも交通手段が官有船(フェリー)しかない唯一の療養所です。学生たちは授業で学んだ知識を確認し、「隔離の島」を体感するために現地を訪れました。

園内見学

 高松港からフェリーに揺られること約25分。源平合戦で有名な屋島の先に、「隔離の島」はありました。面積0.62平方㎞の小島です。
 職員の方から最初に案内していただいたのは納骨堂でした。中には、今もなお引き取り手のない多数のお骨が安置されていました。火葬場に隣接したところには、入所者のお骨の一部を埋葬している、モニュメント「風の舞」がありました。このモニュメントは、故郷を離れ、この島で生涯を終えた人々の魂が風に乗って自由に解き放たれるようにという願いが込められているそうです。
 さらに、亡くなった入所者を解剖する際に使われていた解剖台も見学し、隔離政策のもとの差別の深刻さを再認識しました。

全国ハンセン病療養所入所者協議会会長のお話

 園内見学ののち、入所者の方のお話を聞きました。お話してくださったのは、全国ハンセン病療養所入所者協議会(通称・全療協)会長でした。会長から、(1)大島青松園は1909(明治42)年に、全国5つの療養所のうち中四国の患者を収容する施設として発足し、今年で開所から110年目となること、(2)周りを海に囲まれた園の特性から真水の確保に苦労したこと、(3)医師が患者の家に往診に来る時はゴザを敷いて土足で家に入っていたこと、(4)病気であるにもかかわらず、園内での「強制作業」に従事することによってさらに症状が悪化する入所者が多かったことなどをお話いただき、多くのことを学ぶことができました。

ドキュメンタリー映画「風の舞~闇を拓く光の詩~」鑑賞

 最後に、会館で、ドキュメンタリー映画「風の舞」(2003年、詩の朗読・吉永小百合、 監督・宮崎信恵)を鑑賞しました。映画の主人公は青松園の入所者であった、詩人の塔和子さんです(2013年に逝去)。
 愛媛県出身の塔さんは14歳で大島青松園に入所。23歳の頃、特効薬プロミンで病気が完治しましたが、社会の差別・偏見に阻まれ、以後、亡くなるまで70年にも及ぶ隔離生活を余儀なくされました。塔さんが詩をつくりはじめたのは30歳近くになった頃。塔さんは「生きること」を詩作に託し、多くの優れた作品を世に問いました(詩集『記憶の川で』で高見順賞を受賞)。学生たちは、映画の中で朗読される塔さんの詩に触れつつ、さまざまことを想いました。

生きることとは・・・

 学生たちは園内の施設に宿泊し「隔離の島」で一夜を過ごしました。翌朝の散策の際、穏やかな風が吹く中で、きれいな朝焼けと静かな海面を眺めることができましたが、この島で生きてきた方々の目には、このような風景はいつもどのように映っていたのでしょうか。

「胸の泉に」(塔和子)
かかわらなければ
この愛しさを知るすべはなかった
この親しさは湧かなかった
  この大らかな依存の安らいは得られなかった
  この甘い思いや
  さびしい思いも知らなかった
人は関わることからさまざまな思いを知る
子は親とかかわり
親は子と関わることによって
恋も友情も
  かかわることから始まって
  かかわったが故に起こる
  幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
繰り返すことで磨かれ
そして人は 人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
  ああ何億の人がいようとも
  関わらなければ路傍の人
  私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない

 生きることが、人とかかわることであるとすれば、わたしたちはどのような人と出会い、どのようにかかわり、どのように自分の人生を綴っていくのか。学生たちと教員の学びはこれからも続きます。

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