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この人に聴く!~愛甲修子先生の研究物語(後編)
[2010年02月04日(木)]

(前回に引き続き、愛甲修子先生のインタビュー「後編」スタートです♪)

  

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前回は、基本的に愛甲先生がどうして今のお仕事をされるようになったか、ということでお話していただきました。今回は愛甲先生が現在研究をすすめる上での基礎となっている哲学(現象学)に、どのような経緯で出会われたのかをお話いただきたいと思います。


愛甲先生:
最初の頃、私は「現象学」のことは全く知りませんでした。そもそも哲学を軽蔑さえしていました(苦笑)。ですが、淑徳大学の大学院博士課程に進学して、そこで吉田章宏教授に出会ったことで、これも不思議ですが、現象学を一から学ぶようになったわけです。

 

私は大学では英文学を勉強していまして、「バージニアウルフ」を原文で読んでいたりしていました。吉田教授から、今になるとその理由は分かりますが、「バージニアウルフ」を読んでいたのなら、博論の指導をしてもよいだろうと言われました。吉田教授は東大名誉教授で現象学的教育心理学者でいらっしゃいますが、いざ、研究室に入門しようという時に、ある課題が出されました。「これから現象学を学ぶのであれば、まず最初に『イデーン』を読んでみなさい」と。それで本を買って、ちょこっと読み始めてみたら、もうすぐに気持ち悪くなり・・・、(苦笑)こりゃ絶対無理だわ、と。

 

そこで、心理の先生に「イデーンを読めるようになりたいのですが、どうしたらよいですか」とお聞きしたところ、竹田青嗣先生がカルチャーセンターで「イデーン」講義をなさっているから一度行ってみなさいと教えていただきました。今から8年ほど前になりますが、大きな不安を抱きながら、カルチャーセンターの扉を叩きました。初めはすごく緊張していて、難解な哲学用語で挫けそうになりましたが、レジュメを少しずつまとめていくうちに、徐々に、現象学が生きるうえでの方法論としてベストであるということに気づくようになりました。

 


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なんというか、不思議なつながりの連鎖なんですね。


愛甲先生:
そうなんです。はじめに「必然」といったのも、こういった意味なんですね。いったいどうしてこうなってしまったのか、私自身よくわからないのです。これから先、どのような人と出会っていくのか今現在もわかりません。けれども、私自身の研究が、出会いを通じて、現象学を学んで、はっきりと見えるようになってきたことだけは確かです。そういった意味で、現象学は私自身の人生に大きな影響を与えているんです。

 

私は、これまで長いこと、私自身の世界像を「箱庭」で表現してきました。色々なものを自由に用いて自分なりの世界像を小さな箱庭に創りあげるんです。それで、これが「卒業」したときのもの。(実際写真を見せてくださいました。写真の写真が準備できず残念!)真ん中の水晶球のうえにお地蔵さんが微笑んでいて、そこにあらゆる方面から光の力が集まっている。これは、世界人類の平和「つながり」を表しているんです。

 

私の専門にひきつけて言うと、この「つながっていること」がWell-Being(社会福祉)なんです。社会福祉は一般に「Social Welfare」という言葉で呼ばれ、いわゆる「上からの政策」として理解されてきました。ですが、社会福祉の新しい概念としての「Well Being」は、「ひとりひとり」のニーズに基づいた政策という意味も持っているのですね。わたしがつくってきた箱庭も、はじめからWell-Beingを表現できたわけじゃなくて、初期のものを見るとこんなふうに(別の写真を示して)「迷える森」、という感じなんですね。でも、現象学的に、哲学的に反省することを通じて「つながり」を見出せるようになって、私自身の世界像が変わってきたというわけなのです。

 


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ううーん、なるほど・・・愛甲先生が現象学を通じて得たものというのは煎じ詰めるとどういうものなのですか?

 

愛甲先生:
「自分の命がいちばん大事だ」ということに気づいた、ということです。自分の命がいちばん大事だ、ということは、自然にあいての命も大切にしなければいけないことへとつながっていきます。相手の命を大切にするということは、相手の全て、相手をまるごと大切にするということへつながっていくのですね。さっきの私自身がつくった卒業箱庭は、このこと、つまり、「つながり」とは、生命全ての命のつながりだ、ということになります。自分にとって、大事なものが何であるかを知るということは、主体としての自分自身にしかできないことであるということを現象学は教えてくれたのです。 

 


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ううーん、深いんですね。自分の命と人の命が等価だっていうことに気づく、っていうことなんでしょうか・・・とてもシンプルなことだけど、言われてみるとなるほど、深いなぁって思います。それにしても、哲学ってすごく難しいのだろうと思うのですが、研究していて一番難しいことってどんなことがあるのですか?


愛甲先生:

私にとって、「難しいこと」ってそれほどないのです。私には今までの苦労体験の蓄積があるんですね(笑)。わたしの父母は社会的には優れた人物でしたが、二人の価値観が極端に異なっていました。それで、私はそのあいだで引き裂かれていたわけです。ですから、自分自身を救うためにはどうしても哲学が必要だったのだと思います。あと、この問題に関して、心理学にある限界を感じたということがあります。

 

それがどういう限界かと言いますと、こういう感じです。カウンセラーとクライエントという二者関係があり、カウンセラーの力量からクライエント自身が判断されるということです。クライエントである私が、カウンセラーの意見に納得できないと、私の中にしこりが残ってしまうわけです。クライエントである私の問題の根っこを解きほぐすことはとても難しい。私がクライエントの立場であった場合、もう他にあてがなくなってしまうわけです。

 

ところが哲学だと、まずもって自分自身というものに立ち向かうことになります。知識としての哲学ではなくて、方法としての哲学であるところに現象学の魅力がある。そのことに気づいたのです。自分自身の根本的な問題がどういうものかがわからないということが一番苦しかったわけで、そこに形を与えることができれば、他はもう大丈夫、ということなのです。私には長いこと生きづらさがありましたが、今はもうないんですね。現実には沢山の、いろんな困難が次々と降って湧いてきますが、それはそれで自然なことなのです。今では流せるようになりました。 

 

大事なことは、生きにくさの根っこを自分で掴むことです。私にとって、現象学がその上でとても役立ちました。そしてそのことを特に若い方々に知ってもらいたいと思っています。

 


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最後に、このページをたまたま見ている人、特にいまから色んなことを考えたり勉強したりしてみたいと思っている人に向かって一言コメントをお願いします。


愛甲先生:

私自身、ずっと自分が何をしたらいいかわかりませんでした。勉強も特に好きではありませんでしたし。家族のことや、自分自身の生まれのことで、心が二つに割れたまま生きていました。それでも、いわゆる「いい子」をやっていたわけです。でもそのままでは生きづらくて、さまざまなことにチャレンジしてきました。現象学に出会って気づいたことですが、自分が本当にしたいことを知るために、自分自身の根っこに立ち返ってみることが必要だということです。自分が楽しいこと-たとえばお料理だったり、絵を描いたりすることだったりと人によって違いますが-の延長線上に自分の目がけるものがあるはずなのです。周囲ばかりを見ていても、自分が本当に好きなものは見えてきません。恨んだり、妬んだりしていても自分や相手を不幸にするだけで何も見えてきません。そうではなくて、自分が本当にしたいことがなんなのかを、自分自身によく聞いてみることが大事です。自分で、自分の気持ちをつかんであげることが大切なのだと思います。 

 


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この度はとても心励まされる素晴らしいお話をしてくださり、どうもありがとうございました!(*´ω`*)

 

プロフィール

「本学の東京麻布台セミナーハウスを活動拠点として、人権、平和、人間の安全保障、多文化共生を主要なテーマに多彩な研究活動を展開しています。
(写真:スタッフ愛用のメジャー、「まいなーくん」。こう見えてもCm/Inch 両用の優れもの)」
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