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    授業内容詳細

 社会心理学
   Social Psychology
授業科目区分
国際学部専門教育科目・専門発展科目・コミュニケーション科目群
担当者 竹井 夏生(講師)
グレード G2
テーマ 多様性や異質性を尊びながら、「私」を「私」として、「他者」を「他者」として大切におもうことができるように、そのような社会を築いていく担い手になるように、「私」、「他者」、「社会」とそのダイナミズムについて学んでいく。
キーワード 社会的存在としての人間,社会構成主義,レイべリング(labeling),言説(discours),マイノリティとマジョリティ,スティグマ(stigma),スケープゴート(identified patient),投影同一視(projective identification),差別と排除,他者性(the otherness)
開講年度
2017
開講時期
配当年次
2・3・4
単位数
2
授業の目的及び概要 この授業では、社会との関係における個人の心理を考察するとともに、社会のなかにある心理的な側面から、人々の心理や行動に対する理解を深めることを目標とする。また著名な社会心理学の研究を紹介しながら、社会的動物である人間の行動や認知、他者と共に生活することの意味やその影響について考察する。加えて、人間関係、集団過程と組織行動、説得的コミュニケーション、広告と消費行動等の関係性について、心理学的基本概念や臨床的問題、臨床的な援助法の具体事例から理解を深める。
履修条件
科目の位置づけ(DP・CPとの関連) この科目は、国際学部専門教育科目、専門発展科目、コミュニケーション科目群に位置づけられています。
国際学部のDPやCPに謳われているように、国際社会の多様性を尊重し、異なる価値観や文化的背景への慮りをもち、多文化社会における相互理解と協働が可能になるための基盤を培っていきたいと考えています。
学修の到達目標 ・社会に出る準備段階にいる受講生が、社会や集団の中で起こりうることについて知り、備え、またそこに生きることになる「私」についての洞察を深めながら、よりたくましくかつしなやかに社会を生き抜くことができるようになることを目標とする。

・多様性や異質性を重んじ国際社会を共生していくための土台を築くことを目指す。

授業の方法 講義を中心にする。
コメントシートやレポートを通して対話的学修を行うこともある。
レジュメを中心にして、power pointを用いることもある。
授業外の学修(予習・復習等) ・講義で取り扱った内容についての理解はもちろん、それを通してそれぞれが日々の生活の中で、「社会」、「集団」という観点から、体験を通した思索を深めていくことを求める。
・とりわけ関心を持ったテーマについては、紹介する文献等を中心に、自身のテーマとして研究を深めることを求める。
テキスト・参考書 テキスト(教科書)は使用しない。レジュメを用意する。

以下は参考書として、関心があれば手に取ってほしい。
「現実の社会的構成―知識社会学論考」(ピーター・バーガー、トーマス・ルックマン(著)、山口節郎(訳))新曜社、2003
「フーコー―知と権力(現代思想の冒険者たち26)」(桜井哲夫(著))講談社、1996
「べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章(シリーズケアをひらく)」(浦河べてるの家(著))、医学書院、2002
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹(著))、文芸春秋、2013
「いま哲学とはなにか」(岩田靖夫(著))、岩波書店、2008(「第Ⅳ章 他者という謎」)
成績評価の基準・方法 ・講義への積極的参加、コメントペーパーの提出(20%)
・レポートの提出(30%)
・定期試験(50%)
によって評価する。
履修上の注意事項など 何らかの配慮を必要とする場合には直接ないし以下に連絡をください。
n-takei@s.keiho-u.ac.jp
この科目の履修にあたって もしもあなたのなかに、手に負えないような苦しさや生きづらさ、惨めさのような気持ちが暗雲のように覆い続けているのならば、いったいそれが何ものなのか、何によってもたらされたものなのか、どういう構造、どういうカラクリのもとにそれは生じているのか、といったことを逃げずに考えていくことを引き受け、向き合い、見定め、正しく認識していくことこそが、そこから自由になり暗雲を追い払うほとんど唯一の方途だと私は考えます。さらにそうして生きていく強さが、他者との生き生きとした出会いを劈(ひら)き、そしてそこに小さなコミュニティが創生されていくのではないかと考えています。「国際学」の起点には、自らを知り、異質な他者に劈かれ、そこにほんの小さなトポス<場>が生まれていく―そんな営みがあるような気がしています。
オフィスアワー


第1回 社会心理学への導入―ひと、ひとびと、こころ、ことば(1)

「ひと」は「ことば」を手掛かりにしてはじめて「こころ」を持った「ひと」としての存在を浮かび上がらせながら、また同時に「こころ」を「ことば」に隷属させることによってしか生きおおせないというパラドキシカルな(不安定な)存在としてこの世界に立っている。その「ひと」が「ひと」と「ことば」を通して関わり育ち、意味や知、慣習や制度などを「ひとびと」のあいだで共有し、家族や集団、社会を構成し、かつそれらに規定され生きていくという一連の展開を理解しておくことは、「社会的存在としてのひと」という観点でこれからの講義を理解していくために大切な視点である。このことをこの科目の導入として講義したい。

第2回 社会心理学への導入―ひと、ひとびと、こころ、ことば(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第3回 社会構成主義とナラティヴ(1)

「現実は社会的に構成される」―真実や事実とよばれるものは、普遍の真理としてのそれではなく、社会や文化といった特定の集団において共有された「共同幻想」に過ぎない―たとえば「疾患(をもつ者)」や「逸脱(者)」といったものはその集団において、その集団の秩序維持のために、マージナルかつネガティヴな立ち位置に排除され釘づけされた人々であり概念ではないのだろうか。そのようなものの見方について学んでいきたい。

第4回 社会構成主義とナラティヴ(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第5回 エヴィデンス、実証主義、客観性

エヴィデンス(evidence)」あるいは「論理実証主義(positivism)」―数値やデータといった明証的(evident)な根拠によって事実を示していくというあり方がますます求められる時代になっているが、しかしその背景には、「目に見えるもの(だけ)によって事象や心象を判断していく」あるいは「見えないものはない」という素朴実在論的な問題を孕んでいるのではないか?エヴィデンスの時代の背景や特性とその問題について考えてみたい。

第6回 言説・知・権力―フーコーを手掛かりにして(1)

フランスの哲学者フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)は、あらゆる「逸脱」やマイノリティ―「狂気」、犯罪、性的なそれなど―の側に立ちながら、それらが統率され支配されていく社会集団のあり方についての議論を展開してきた。そのうちここでは、特に精神疾患に関わる「知(savoir)」、「言説(discours)」、「権力(pouvoir)」、といった概念やものの見方について学んでいきたい。

第7回 言説・知・権力―フーコーを手掛かりにして(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第8回 セラピューティック・コミュニティ(1)

北海道浦河町にある統合失調症をもつ人々を中心とした「べてるの家」というコミュニティについて。「幻聴」、「妄想」といった統合失調症特有の「症状」を人間としてのかけがえのない「苦労」や「悩み」として、「ひと」が「ひと」として生き、つながっていくための貴重な財産としてともに生きる―このような治療共同体(therapeutic community)についてともに考えてみたい。

第9回 セラピューティック・コミュニティ(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第10回 集団力動と家族療法(1)

「痛みは低きところに寄せ集まる」―家族や組織といった集団においては往々にして、弱い立場の者やマイノリティがスケープゴートしてその集団に遍在する「抱えきれないもの」を引き受けさせられることがある。クライン(Klein, M)の「投影同一視」、ビオン(Bion, W. R)の「Ps⇔D」といった考えを借りながら、集団において生じる力動に気づき、それを生き抜くための手掛かりを見出したい。

第11回 集団力動と家族療法(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第12回 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む(1)

名古屋での高校時代、「パーフェクトな組み合わせ」だった男子3人、女子2人の5人グループ。しかしある時を境にまったく理由も分からないまま、主人公「多崎つくる」はその集団から決定的に排除されてしまった。激しいこころの傷を負ったつくるではあったが、36歳になった今、沙羅という女性の後押しもありながら、その傷に向き合うべく、本当は何が起こっていたのかを見定めるべく、またこれからの自分のために名古屋に向かう決心をする。集団力動、スケープゴート、Ps⇔D、パーソナリティといった観点からこの小説について考えていく。

第13回 村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む(2)

前回の内容を引き続き深めていく。

第14回 現代のこころの危機と差別・排除

清浄な時代に生きている私たちは、本来人間が有している「死」や「穢れ」といった忌むべきものから目を背けて生きているとも言える。そのようなこころのありようを生きている現代の私たちのこころの危機について、特に差別や排除といった観点から考えてみたい。

第15回 他者との出会い

「他者」とは「私」の延長線上にある同化可能な存在ではなく、また「私」の存在欲求を満たすための道具でもない。そのように「他者」を「私」のうちに取り込もうとするならば、それは端的に「暴力」である。それぞれの固有性、唯一性、異質性を尊びあうことの求められる現代社会、国際社会において、「他者」と「出会う」とはいかなるありようなのかということについて、岩田靖夫あるいはレヴィナス(Lévinas, E)の他者論から考えてみたい。